今回はキリスト教関連の事件、第2弾です。
強制入会の件(前回の記事参照)により、アデレード生活1ケ月目にしてキリスト教に違和感を持った僕ですが、今回のお話はさらにそこから2ケ月ほど経った頃のことです。
その頃には、もう前回の【地獄に落ちろ連発野郎】のことは、数多くのクリスチャンの例外的な一例として頭の中で処理しており、キリスト教に対する不信感もだいぶ回復していました。
また、アデレード自体、地元の人はほぼクリスチャンなので、彼らとどこかへ遊びに行く時など、自然にちょっと教会に付き添ったりする機会も増え、特に宗教に信仰のない自分でも、日常にキリスト教があることに慣れてきました。
そんなある日、僕は友達のオーストラリア人(Clideさん)の家に遊びに行きました。
その人は、結婚してすでに4人の子供がいる父親で、敬虔なクリスチャンなのですが、どっかの誰かさんみたいに【地獄に落ちるぞ】とか連発しないし、聖書の小冊子を押しつけるようなこともなく、普通に気さくで良い人だったので、歳はだいぶ離れていましたが、友達付き合いをしていました。
そして、彼の奥さんの手料理をいただいている時、彼にキャンプに誘われました。
KEISUKE(クビ旅の名前)、今週末、地元のクリスチャン仲間と山へキャンプ行くけど、一緒に来る?
え、面白そう。でも、僕クリスチャンじゃないけどいいの?
ノープロブレム!いいよいいよ〜
ということで、急遽、週末にみんなで山へキャンプへ行くことになりました。
ワゴンの中にライフルが、、
さて、当日、10人くらいで集まった僕たちは、さっそくワゴンに乗り込み出発しました。
田舎道をガタガタ進んで30分くらい経った時です。後部座席に乗っていた僕は、ある黒い物体に気づきました。
なんかそれは柔らかい革製の入れ物に入っているのですが、少し空いたファスナーから黒い筒のようなものが見えます。そして、何よりこの入れ物の特徴的なフォルム。。
え!?これライフルじゃないの!?
びっくりして聞いてみると、案の定やはりライフル。ワゴンのドライバー(今回初めて会う人でもちろんこの人もクリスチャン)の所有物で、銃器所持の許可も受けているとのこと。
持ってきた理由もついでに聞くと、
「あー、ちょっと気に入らない日本人がいてな。。。はーはっはっは!」となかなか笑えないオーストラリアンジョークを飛ばす始末。
なんだか雲行きが怪しくなってきましたね(笑)
ライフルをぶっ放してみた
そんなこんなで、こんな感じの山に到着。写真だと分かりづらいですが、周りも一面、広大な丘と山々に囲まれています。
(↓画像不鮮明ですいません。オーストラリア生活編は当時のガラケーで撮ったものなので、こんな感じの画像が続きます。アメリカ生活編からは、クリアな画像になります)
驚くべきは、これら全てさっきのドライバーの私有地とのこと。なかなか豪快なオーストラリアンジョークを飛ばすだけあって、只者ではないと思っていましたが、やはり只者ではなかったです。
で、さっそくとばかりに取り出したのが、さっきのライフル。僕たちには、銃口が向いている方向には絶対立つな、とかいろいろ注意事項を説明してくれながら、手早く台座と本体を組み立てていきます。そして最後に的を設置します。
そして撃ち始めました。
僕は後ろで見ていると、「KEISUKE!Youも撃ってみるか?」と勧めてくれたので、刺激的なことが大好きな僕は迷わず撃ってみることに。
人生初の銃火器体験となりましたが、その1発目。これが難しい難しい。台座があるにも関わらず、重くて、ぜんぜん標準が合いません。あまりに標準が合わないので、だんだんイラっとし、途中でまぁいいやと思いテキトーなところでポチっと引き金を引いてみると、
バシューーーーーン‼️
とものすごい音がしました。(もちろん的には当たらず)
《これがライフルか!すごい音だな!》と思って周りの人にそれを言ったのですが、その自分の声が聞こえません。周りの人の返答も聞こえません。
あまりの衝撃で一時的に鼓膜がイカれたのです。耳マフラーをつけなかったのも原因ですね。2-3分で元に戻りましたが、なかなかに刺激的な体験でした。
ここからが本題です
で、ここからが本題なのですが、話は、一通りみんなで的を撃って遊んだ後のことです。
その中の1人が、突然山に向かってライフル発砲し始めました。
(的もないのに、なんでだろう?)と思って見ていたのですが、周りのみんなが、たまに異様な歓声をあげ、盛り上がります。
さらに、「よし!足に当たったぞ。もう1発!」とかなんとか言っています。
ギョッとして、目をこらして、山の方を見ると、彼らが狙っている対象が見えました。
カンガルーです。足を怪我して、上手く跳ねることができないカンガルーが、かろうじて見えました。
、、、いやドン引きしました。本当に。マジで。
自分は別に狩猟を否定しているわけではありません。生き残るために他の動物を殺し、その肉を手に入れるのは、自然界に生きる全ての生物にとって当然の摂理に思えますし、食料調達が目的でのハンティングであれば、特に否定する道理はありません。逆に、そういうのを含めてなんでもかんでも否定するバカな動物保護団体など、僕は大嫌いなタイプです。
しかし、今、自分の眼前で繰り広げられているのは、ただの低俗な遊びです。自分の快楽のために、無意味に他種を殺す遊び。しかも、それを行っているのは【博愛】がその根底になっているはずのキリスト教の敬虔なクリスチャンたちです。
なんというか、その、、普段は、博愛を前面に押し出し、他人への態度も非常に親切かつ穏やか、言葉遣いも綺麗(FuckやShitはもってのほかStupidでさえその人たちは使わなかったです)にも関わらず、聖書に規定がない※ならなんでもアリなのか?と悪い意味でのギャップに、鳥肌がたつ思いでした。
※自分は聖書を読んだことがないので、実際はわかりませんが、おそらく《動物に対しての無意味な殺生》とか、そんな感じのことは書いてないのでしょう。書いてあれば、彼らレベルの敬虔なクリスチャンは命に換えても守るので。
別にここで、キリスト教を否定する気はないです。あまり詳しくは知りませんが、教義自体は立派なものだと思いますし、それに救われている人が世界中にたくさんいらっしゃるのは素晴らしいことだとは思います。
しかし、問題なのは、今回の彼らのように、聖書のみに全面的に依存し、自分自身の判断の物差しがない人が一定多数いることです。そして、それは敬虔さが強ければ強いほど、依存度が増す傾向が高いように見受けられます。
正直な話、キリスト教に限らず、どんな完璧な宗教でも、その聖典にすべての行動の規範を書き切ることなど不可能です。
なので、当然その書いてない部分の行動規範を決定するのは、自分自身の判断の物差しになるのですが、宗教に依存しすぎて、その物差しを持っていない人が意外に多いと感じます。(少なくともアデレードの1年半の生活の中で自分はそう感じました)
別に聖典に記載されていようとなかろうと、今から自分がする行動は、自分の倫理観の物差しと照らし合わせて、可か否かくらいは判断できるはずです。
それを持っていないと、上手く表現できないけど、なんか、、そんな世界怖いじゃないですかー。
そんなのいやだいやだ!
とまあ、いろいろ今回書きましたが、この件をネタにし、記事を書いて、あわよくば今後アフィリエイト広告もつけたろ。と考えつている自分も、間違いなく低俗ですね笑。ただし、その低俗とあの低俗は違う、と割り切って、威風堂々と出してやろうと思います。
それではまた次回!