バックパッカーで上海に行くが、お金が尽きたのでそのまま中国で就職。

【中国】生活編

(毒舌旅)

オーストラリアで、レストランのアルバイトを3店連続でクビになったり、アメリカで航空会社を解雇されたりと (他の航空会社と問題を起こしたため)、これまさにグローバル規模でのクビを経験した私が、

うん、やっぱ日本へ帰ろっ!

と思い、日本へ帰国したのは2015年のことだった。

当初は久しぶりの日本 (オーストラリアとアメリカで計4年住んだ) が心地よく新鮮だった。なにより、食べ物が安くて美味しい。電車も静かで、接客も良い。最高だ。

そして企業通訳や英会話講師などで生計を立てて、一見、我ながら円滑に日本社会に溶けこんでいるようだった。

だがしかし、やはり地の性格は簡単に変わらないようで、2年も経つと日本での生活もすっかり飽きてしまった。なにも刺激がないのである。つまらない (さっきは最高とか言ってたくせに)

なので、といってはなんだが、会社を辞めて、この2年間で貯めた全財産200万を資金に世界一周のバックパックの旅に出ることにした。

旅程としては以下。

日本からメキシコ経由で南米を周り→その後ヨーロッパの主要国を周り→最後は中国に学生ビザで入り中国語の語学学校に1学期だけ通う (事前に学生ビザは取得した) という、全工程6ケ月のプランである。

そして、いざバックパッカーの旅に出たのだが、、バカな私は後先考えず、南米とヨーロッパで150万くらい散財してしまった。

本当にいつも私は計画性がない。

バックパッカーの基本から外れ、移動は全て飛行機、宿も全て高級ホテル、また観光地も興味があるところは全て周ってしまった (南米で一番お金がかかるイースター島にも行った)

なので、当初200万あった資金は、2ケ月後に中国(上海) に着くころには40万になってしまった。

その上海では東華大学という大学の附属語学学校に通ったのだが、1学期分の学費と寮費を払ったら、もうほとんどお金は残らなかった。

そして、そんな状態で学校に通い初めて3ケ月、案の定ついにお金が底をつきそうになった。

そこでようやく焦りだした私は (遅いのだが)、日本に帰るのはイヤだし、もう開き直ってそのまま中国で就職活動することにした。

就活開始!

ということで、早速、アジア圏で特に中国に強い就職斡旋サイト【かもめアジア-中国】に登録した。

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自分の情報を登録して、履歴書を送信し、担当から連絡を待って面接という流れである。

で、バカみたいに一貫性のない職歴 (消費者金融→レストラン→航空会社→英会話講師→企業通訳)をポソポソと履歴書に書き、さっそく送信したのだが、、、

当初、難航すると予想した就職活動は意外にも順調に行き、2週間後には北京の英語のコールセンターから内定をもらった。

条件も悪くなく、北京という地には惹かれていたので、8割がた自分の心は決まった。

なんだ意外とラクショーじゃん、と思い先方企業の人事担当にも、「まだ正式には回答できないが、おそらく行きます」と調子をこいた返答をしていたのだが、このタイミングでカモメアジアの担当から運命の電話がかかってきた。

いや、もういいのに、、と思いながら電話を取ったが、なんでも大連のNeusoftという大手が、企業トレーナーを募集しており、私の履歴書を読んだ先方の部長が是非とも面談したいと言っている (なぜあのショボい履歴書でヘッドハンティングしてきたのかはさっぱり不明だが) 、という旨を早口でまくしたてられた。

正直、すでに北京のほうに心が傾いていたし、また大連なんて全く興味のない場所なので、すぐに断ろうとしたが、担当者が結構な熱量で押してくるため、こちらも断るタイミングを逃し、「じゃあ、まあ話だけでも聞きます」と言ってしまった。。

しかし、結果的にこれが大正解だった。

さっそくオンラインでそのNeusoft (东软集团)の部長と面談したのだが、仕事内容を聞くなり心が震えた。

要約すると、【Neusoftの中国人従業員に対し、国際的企業と渡り合えるように、日本語や英語、会議資料やプレゼン能力などを徹底的に鍛えてほしい。こちらから特に指示はない。やり方は全てあなたに任せる】とのこと。

これを聞き、鳥肌が立った。

特に最後の部分。やり方は全てあなたに任せる。

、、、

なんと面白そうな仕事だことか!

ルールや指示は一切なく、全て自分が決められる!

今まで、オーストラリアでもアメリカでも日本でも、たいして意味のない細かいルールに縛られながら窮屈に仕事をしてきた。

金融、レストラン、航空会社、英会話講師、全てにおいて企業側が決めたレールを毎日タラタラと歩くようなつまらない仕事で、刺激がなかった。

しかし、この仕事は自分で創り出す仕事なのだ。

「お世話になります」と、その場で即決した。


ということで、私は大連のNeusoft (东软集团)に就職することとなり、2018年5月〜2023年7月まで5年間大連で生活することになった。

これが私が中国で就職した成り行きである。

Neusoftとは最終的には、私のワガママが原因でケンカ別れ※のような形となり辞めてしまい、現在私はマレーシアで働いている

(※バカな私は2023年のボーナスを20%下げられたので、プライドを傷つけられたと思い、上司の話も聞かず退職届を叩きつけてしまったが、実際は大連全体が不景気で、ほとんどの従業員がボーナスなしだったため、十分評価されていたことを後に知るにいたって激しく赤面した)

人生いろいろです💦

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