以前の記事でご紹介した通り、南オーストラリア州のアデレード市は別名【教会の街】と呼ばれています。なので、街全体にキリスト教が深く根付いているのですが、実際に長い間アデレードで生活してみて、そのキリスト教に違和感を覚える出来事が2回ありました。
今回は、その最初の事件を振り返っていきたいと思います。
突然渡された謎の本
それは、僕がアデレードに来てから1ケ月ほど経ったある休日のことです。
あるパーティーに参加した僕は(何のパーティーかは忘れました。14年前のことなので)、帰り際に会場を出たところで、参加者のうちの1人に呼び止められました。
物腰の柔らかい初老のオーストラリア人紳士で、僕が留学に来た理由や、家族や趣味のビリヤードのことなど5分ほどおしゃべりし「せっかくだから」とケータイ番号も交換しました。
そして、別れ際に突如、A5くらいの小さな本(というか小冊子)を渡され「これはお守りみたいなものだ。これをキミにあげるよ。通訳の勉強がんばって!」と言われました。こちらも、その時点では、特に警戒心もなかったことから、何のためらいもなく、それを受け取り、帰宅しました。
家(ホームステイ先)に着いて、それを開いてみると、それはキリスト教の子供向けの漫画の小冊子で、俗に言う【悪いことしたらバチが当たるよ!神様は見てるよ!だから、みんな良いことしようね!】という他愛もない物語で、なんでこんなものがお守りなのか?と疑問を感じながらも、特に気に留めることもなく、その日はそのまま寝てしまいました。
「お前は地獄に落ちる!」の連続コンボ
数日後、その初老の男性から、ショートメールで、ビリヤードでもしようと誘われ、興の乗った僕はさっそく指定のビリヤード場へ行きました。
そして、それが間違いでした。
ビリヤード場へ到着し、さっそく短い挨拶をしてから、8ボールを始めたのですが、ゲームを始めるなり、彼は唐突に「この前渡した本は読んだか?」と聞いてきました。
こちらとしては、とりあえず読んだので「読んだ」と答えると、さらに感想を求めてきます。正直、あんな数ページほどの子供向けの偽善話は、全く面白味もなかったのですが、それをそのまま言ってはさすがに失礼か、とふだん気の利かない僕にしては珍しく気を遣い、「うん、結構面白かったよ」と答えました。
そして、以下がそれ以降の会話です。(そっくりそのまま実際の会話です。あまりにもバカらしく衝撃的だったので、14年経った今でもハッキリ覚えてます)↓
初老男「本は面白かったんだな!では、キリスト教へ入ろう」
僕「え?」
初老男「キリスト教に入って、心を清めるんだ」
僕「いや、いきなり言われても、、」
初老男「キリスト教に入らないと地獄に落ちるぞ」
僕「いや、なんでキリスト教に入らないだけで、地獄に落ちるの?」
初老男「人間は罪深いからだ。でもイエス•キリストを信じれば、許してくれるんだ。イエス様に許しを乞え!さもないと地獄に行くことになるぞ!」
僕「いや、まあ、、地獄は置いといて、何が罪なの?」
初老男「全ての人間は、生まれてきたこと自体が罪なんだ!」
僕「この世に生まれてくる時は自分の意志じゃないじゃん。そんなの知らんよ」
初老男「でも罪なんだ!、、他の生き物に優しくできない人間は罪深いんだ!」
僕「いや、この前あんたパーティーでチキン食べてたじゃん。鶏。」
初老男「、、全てが罪なんだ!全ての欲も罪なんだ!性欲も罪だぞ、セックスだって罪なんだ!」
僕「性欲なんて本能だよ。子孫を残すために、人間以外の全ての生物も、そういう欲求を持つように“神様”に造られてるんだから、何が罪なの?意味わからん」
初老男「とにかくキリスト教に入らなければ、地獄行きだ!」
僕「さっきから、地獄、地獄ってうるさいな!バカらしい。そんな風に脅迫して入会させて意味あるの?それがキリスト教のやり方か?」
初老男「そういう考えが罪なんだ。このチャンスを逃すと本当に地獄に落ちるぞ!」
もう話になりません。1つ1つの発言に対し、こちらが意見を言っても、分が悪くなれば【さもないと地獄に落ちる】という結論に終始するので、議論にすらなりません。
最終的には、本を突き返し、その方とは事後、一切の縁を切りました。
この件にムカッ腹が立つ理由
そりゃ自分だって、人間が汚い生き物だというのは分かってます。紀元前から現代まで、長い人間の歴史を振り返れば一目瞭然です。
自国の利益のためだけに、他国を力ずくで植民地にし、抵抗するものは容赦なく殺戮してきた国のリーダーたち。そして、それに追従した全ての一般人たち。
自社の記事を不特定多数の読者に売るためだけに、1人の有名人の発言を悪意のある切り取りで炎上させ、その人の人生をめちゃくちゃにし、場合によっては自殺に追い込むマスコミ。そして、そのマスコミの手の上で踊らされていることにすら気づかず、嬉々としてターゲットを叩く全ての一般人たち。
うん、やっぱり、こうやって見てみると、人間という生き物は、時に卑しく弱い一面を有しているんだと思います。
でも、しかしですね、その卑しさ弱さを否定するのではなく、しっかりと受け止め、自覚することこそ一番大切なことなんじゃないか?と思うんです。自覚しているからこそ、自分がそういう負の欲求に落ちて行きそうになった時で、《これはヤバそうだ、このままじゃイカん!》と事前に危険を察知し、自重することができるんではないでしょうか?(グローバルにクビになっている僕が偉そうに言える立場ではないですが)
なので、僕は個人的には、そういう意味で己の弱さや卑しさを認めることは立派なことだと思います。
で、ここで、さっきのあいつの話に戻るのですが、あいつは、会話しててなんかそういう自分自身の考えというか、自分の核となる物差しを持っているようには全く見えませんでした。
ただ単に、幼い頃から言われてきたことだから、それをインコのようにピーピー繰り返しているだけです。だからこそ、決め台詞が【信じなければ地獄に落ちる】という何の信念もない、脅迫まがいのものになってしまうのでしょう。
そんなやつが、なにをエッラそうに、下の世代にキリスト教の何を伝えていくのでしょう?アホか。
、、、とここまで書いて、そういう自分も今回の記事で、己の弱さに負け、さんざん他人の悪口を書いて、卑しい欲求を発散していることに気づきました。
あー、なんだかなー。。
最後の最後で、返す刃が自分に向かい、完全なる自己矛盾に気づいたところで、今回の記事は終わりです。自嘲の笑みを浮かべつつ。。
では、また次回!