さて、オーストラリアの田舎町アデレードに来て一年半、職業専門学校TAFEの日英通訳コースの授業が全て終了し、いよいよ最終試験の日を迎えました。
最終試験(通訳国家資格NATTI)
最終試験は、オーストラリアの通訳国家資格NATTIの試験です。これを持っていればオーストラリアで政府公認の通訳者として活動が認められます。
試験方式は、通訳をしている現場をビデオで録画し(一発勝負でもちろんやり直しは無し)、そのビデオを協会の人が採点し、点数に応じて①NATTIを与えるか、②通訳コースの修了書を与えるか、③何も与えないか、を決めます。
①70点以上→国家資格NATTI合格
②60点〜69点→ディプロマ合格 (NATTIは失格)
③0点〜59点→ すべて失格
それを決める最終試験の日がついに来たのです。
、、、やっとここまできました。
思えば、この一年半、バイトを3回もクビになったり、ルームメイトが刺されたり、といろいろ大変な目にあいながら、通訳になるために結構、必死に勉強してきました。
【医学•法学•政治•福祉】など膨大な英単語を暗記し、気の遠くなるような回数の通訳のロールプレイを繰り返し、また、(文化背景を知らないとスムーズに通訳できないため) オーストラリアの病院や裁判などの制度も徹底的に叩きこまれました。
そして、通訳者としてのCode of Ethics(通訳者倫理規定)も口を酸っぱくして毎回の授業で強調され続けました。
※通訳者倫理規定というのは、通訳者として守らねばならない10個のルールのことで、【絶対に中立性を守ること】や【絶対に感情的にならないこと】などがあります。当たり前のように思えますが、犯罪者と被害者の通訳をする場合など、通訳者のやはり人間のため、被害者に感情移入し、肩入れしてしまうようなケースもあるのです。なので、”プロとしてそういうことは絶対ダメなんですよ” と毎回の授業でクギをさされます。
そうやって今まで一年半、学んできた様々なことを全てぶつける最終試験の日がやってきたのです。
結果が出た
いよいよ、試験が始まり、2つのシチュエーションの通訳を必死にこなしました。自分の中では、ミスもそんなになく、手ごたえは悪くありませんでした。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
が、結果発表の日、点数を見ると68点でした。
あと2点届きませんでした。。泣
ということで、ディプロマ(修了証書)は手に入れることはできましたが、国家資格NATTIは落ちてしまいました。
でも自分の全力を出し切れたので、ショックはありましたが、悔いはなかったです。
捨てる神あれば、拾う神あり
さて、ということで国家通訳の資格が取れなかったため、一年半のオーストラリア生活は終わりを迎えました。
(あーこれからどうしようかなー、、日本に帰るしかないのかな、、イヤだなー。。)と悩んでると、なんとそのタイミングでびっくりするようなメールが届きました。
捨てる神あれば、拾う神ありとはまさにこの事です。
それは、ある就職斡旋会社からの緊急メールだったのですが、なんと、、
ニューヨークの航空会社で採用予定のインターンが1人突如キャンセルしたため、1ケ月以内にニューヨークに来れる人募集
というもの‼️
しかも、詳しく読んでみると、突然キャンセルされたので採用元の会社が焦っているらしく、
①【給与は現地人と同じ】
②【インターン18ケ月ビザ➕サポート費用約70万円が無料】
というびっくりするような好条件を提示しています。
さらに、応募資格も【TOEIC850】というラクな条件。
正直それまでTOEICなんて興味もなく、受けたこともありませんでしたが、こちらはオーストラリアのNATTI取得のため、現地でバシバシ鍛えられた身です(落ちましたが。。笑)
それこそ野球でいえば、プロの2軍と少年野球みたいなもんです。その気になればTOEICくらいはどうにでもなります。
また、「1ケ月以内にニューヨークにいけますよ」という変人など自分以外にはほぼいないだろうという計算のもと、さっそくパソコンで履歴書を作り、自分の経験をちょっと針小棒大に書いた上で(笑)、すぐに返信しました。
そして、案の定、すぐに返信が来て、その後2回のスカイプ面接を経て、晴れて採用となったのです‼️
実力でもなんでもなく、ただの運です。
まさか、ニューヨークで働けることになるとは、、NATTIに落ちたショックも忘れ、喜びました。
その後、ニューヨークで痛い目を見ることとはつゆ知らず、生来の性格から問題を起こして数年後クビになるとはつゆ知らず、、ニューヨーク行きにぬか喜びする僕なのでした。。
今回の記事で、クビ旅ブログ【オーストラリア生活編】は終了です。
(次回からは、アメリカ生活編になります。)