「日本人は残忍なところがある」と責められた話

【オーストラリア】生活編

日本人は残忍なところがある

と面と向かって言われた経験があります。

オーストラリアでホームステイをしていた時に、そこのホストファザーに言われました。

特に日本人の僕に対して悪意があるわけではなく、ただ単に夕食後、一緒にテレビ番組を見ていて、そこにイルカが出てきたので、「イルカって知性が高いらしいよ」うんぬんの話から、その流れで《和歌山のイルカ漁》へ話題が転じたときに言われたひと言です。

一応、簡単に背景を説明しておくと、当時和歌山の太地町では、イルカ漁が盛んで、銛を使って殺す方法が残虐だ、などと世界中から非難を受けていた時期でした。そして、その光景をさも悲劇的に扱ったドキュメンタリー映画や、リテラシーがないことで有名な動物保護団体の過激派シーシェパードが騒いだことで、さらに報道が過熱していたのです。

ここで、(うわぁ、またウチの人、思ったことそのまま言って!この日本人もすぐ言い返す性格だし、ヤバい雰囲気になるわ!)と思ったのかどうかは知りませんが、すぐに危険を察知したホストマザーが止めに入り、夫をたしなめます。

ただ、僕はちょっと意見を聞いてみたい思いがあったので、止めずに先を促しました。

で、話を聞くと彼が言うには

「その漁に関わっている日本人は自分勝手だ。殺す必要もない動物を残虐に殺す。イルカは知性が高く感情もあるんだ。イルカが可哀想だ」とのこと。

で、これを聞いた僕は反論するかどうかを悩みました。

度量が狭い僕は、相手が悪意のある発言をした場合は、必ず言い返すことにしていますが、この人はそうではありません。別にいたずらに日本人を咎めたいのではなく、ただ単に本心からイルカが可哀想だと思ったから、それを(思慮は足りないが)そのまま言ってるだけなので、それに対して、こちらも感情的に反論するのはあまり良くないと判断し、「ふーん、そう思うんだ」とだけ言いました。

ふーん、、

ただし、その一方で彼の発言内容に対しては、僕は非常に強い違和感も同時に感じてしまうのです。

その「自分勝手」とか「残忍」とかという表現に対してです。

正直、今さら何を言ってるんだ?という感じです。人間をはじめ自然界に生きる生物なんて全て自分勝手なんです。自分たちが生きるために他者を犠牲にし、生きてるんです。

食べるために、牛、ブタ、ニワトリ他あらゆる生物を無慈悲に殺し、

生きるお金を稼ぐために、動物を使った数多くのビジネスをしている全世界の自分勝手な人間たちを差し置いて、

《イルカだけは、なんか可哀想なので日本人は残忍で自分勝手》

は、さすがに暴論です。

と同時に正直、あんたたちオーストラリア人が趣味で好むハンティングのほうが100倍自分勝手だろ、と言ってやりたくなります。

バカなマスコミやリテラシーのない外野の人間が何を言ったところで、和歌山県の太地町の方々は、あくまでイルカ漁を自分たちが生存する手段として選んでいるだけです。それが食べるためであろうと他の水族館に売るというビジネスのためだろうと、彼らがこの地で生き残る手段なので理解できます。別に否定するつもりはありません。

それよりも、オーストラリア人が好む趣味のハンティングは一体全体どうなんだ?と逆に聞いてみたくなります。食べるためでもなく、ビジネスのためでもなく、それをしなくとも、自身の経済生活に全く影響がないにも関わらず、自分の快楽やくだらない自己顕示欲のためだけに、鹿、カンガルーや鳥などを死ぬまで何発も撃ち、“残忍”に“自分勝手”に殺してるではないですか?

(僕はその光景を地元のクリスチャンたちと山にキャンプに行った際に目の前で見ました。過去の記事→【ドン引きした話】カンガルーを撃つクリスチャン)

その事実を棚に上げての日本人批判は、完全にお門違いですし、論理的に崩壊しています。

別に日本を批判されたからと言って怒っているわけでもなんでもなく、他国に対し否定的な意見を述べるなら、もう少しロジックと客観性を持って言えよ、と言いたいのです。

自分自身の物差しがないと、簡単に周りに流されて、相手(この場合はマスコミ)が仕掛けたプロパガンダに、それこそ手のひらで踊らされている状態になってしまいますからね。

注意してほしいものです。


このやりとりから、もう13-4年ほどが経ちますが、オーストラリア生活を振り返る際、よく思い出します。

また、あの時ちゃんと反論しとくべきだったかな、と後悔する一件でもあります。

皆さんはどう思われるでしょうか?

ということで、今回は以上です。また、次回!

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